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やたら準備会スタッフを輩出している某大学の話ですが、その学校では寄付をした人に謝恩会を兼ねて報告会をしているそうで、そこに出席したスタッフから聞いた話なのですが「もらった寄付金で同人誌を刷ってコミケに出た」と報告したサークルがあったそうです(続く)。 |
話をしてくれたスタッフは、普通に寄付をした人達に申し訳なくていたたまれなかった、と嘆いていました。さて、この話。考えさせられることが二点あると思います。まず、お金が出ていることへの学校からサークルへの関与の仕方(続く)。 |
活動に学校のお金が出ているので有償頒布できないと(コミケだけでなく学祭でも)無料配布をしているところが結構あります。とはいえ、学園祭での屋台等はいいのに何故会誌がいけないのか? と思ってしまいます。学校によってこの点への温度差があることを感じてしまいます(続く)。 |
さて、もう1点。準備会側の意識的なものを含めての話となります。大概の学校で学外集会への参加は届け出が必要となっているはずです。どこもこういう規約ができたのは60年代。安保闘争の学生運動に対する学校側の対抗策として作られ、そのままになっているはずです(続く)。 |
翻ってコミケットを見てみると、その理念や先代代表米澤の言葉を思い浮かべると徹底した水平思想とかどう見てもコミューン思想の産物であり、ましてや先代代表米澤の、自分は学生運動ノンポリ派、という言葉を知っていると、コミケット自体が学校としては禁止したい学外集会そのものなのだとわかります(続く)。 |
のはずなのですが、コミケへの参加を寄付の報告で話せることがどうして容認されるのか、正直何かの罠ではないか? と疑いたくなるくらいです。安保闘争から半世紀が経ち、(『コンクリートレボルティオ』のように)ファンタジーの素材となるような時間が過ぎていることはわかります(続く)。 |
知らない学生は当然として、学校当局側も意識していないのだと感じてしまいます。そういった管理をしようという意識すら、もう必要ない時代になったのかもしれません(続く)。 |
逆に準備会が危機感を捨て去れず、学生の参加について教育効果だなんだと言い訳を作らないといけない等という、強迫観念めいた意識を持っていることの方が滑稽なのでしょう。そういった危機感はもう過去のものと割り切るべきなのかもしれません……。 |