ロンドンへの道
準備会が、今回の「マンガ展」のキュレータであるニコル・クーリッジ・ルマニエールさんに初めてお会いしたのは、今を去ること約2年前の2017年夏のコミケット92でした。「マンガ展」の準備のために来日されていたニコルさんは、暑い夏コミの会場を見て精力的に回り、その熱気に感心されていたようです。
その年の秋、文化庁の事業の一環として運営されていたマンガ、アニメ、ゲーム、特撮、メディアアートに関する展示に関わる学芸員を中心とした勉強会のテーマのひとつとして、「マンガ展」の企画検討が度々行われ、準備会もこの勉強会への参加の要請を受けることとなります。ニコルさんの熱のこもった企画案を元に、学芸員の皆さん、マンガ研究者の皆さんが、様々なアイディアを出したり提案を行ったりする中、準備会としてもマンガ同人誌に限ることなく、いろいろなお話をさせていただきました。その中には残念ながら展示の構成から洩れてしまったものもあったのですが、企画全体としてはどんどんブラッシュアップされ、この勉強会での「マンガ展」の企画検討は、翌2018年の夏まで続きます。
ニコルさんは、早い段階でコミケットを中心とするマンガ同人誌を「マンガ展」で取り上げようと考えられていたようです。2018年の春頃から個別に何度かお会いし、どうすれば面白い展示になるのか、こちらから様々な情報提供を行い、ディスカッションを重ねた結果、今回の「マンガ展」での同人誌に関する展示内容も固まっていきました。そして、11月には図録用のインタビューを共同代表安田かほると広報担当の里見直紀が受け、また、冬のコミケット95には大英博物館の撮影クルーが来日し、コミケットの色々な風景や様々な参加者へのインタビューのビデオ撮影が行われました。
展示の内容について
今回の「マンガ展」のコミケットと同人誌の展示要素は、大きく2つに分かれます。ひとつは、いくつかの実際の同人誌を紹介する、もうひとつは、そうした同人誌が単に頒布されるだけではなく、同人誌や個人の創作表現を愛好する参加者が集いコミュニケートする「場」であるコミケット自体を見せる、というものです。
「マンガ展」全体の構成として、日本のマンガに馴染みが薄いイギリスの皆さんへの導入部として使われたのが、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』です。19世紀にイギリスで生まれたこの作品は、イギリス国内ばかりでなく、全世界の様々な小説・絵・映像作品に多様な影響を与えており、もちろん日本のマンガにおいても「アリス」をモチーフにした作品が少なからず存在するのは、皆さんご存じの通りです。展示では、『地下の国のアリス』『子供部屋のアリス』のイラストとともに、『不思議の国の美幸ちゃん』(CLAMP)、『アリス』(星野之宣)、『不思議の国のアリス』(大友克洋)が、「マンガ展」が行われる展示ホールの入口に飾ることになりました。
膨大なマンガ同人誌が存在する中、どのように展示する同人誌を選択するのかは、この「マンガ展」の展示作品の選択とも似て大変に難しいことです。議論の結果、上記のコンセプトに合わせた形で「アリス」をテーマとした本、という切り口で同人誌を選ぶことになり、FancyFantasia(植田亮さん)、あいすとちょこ(七尾奈留さん)、はちのこの里(奥田泰弘さん他)の3サークルの「アリス本」を準備会側で用意しました。
また、コミケットを特徴づけるもののひとつとして、多様なパロディ・二次創作同人誌の存在が挙げられるわけですが、上記の同人誌とは別に、なんらかの形で展示したいと考えていたところ、偶然出会ったのがbabaさん(サークル:baba精米所)が作った全長20mを越える絵巻物に、東方Projectの全キャラクターをあしらった『東方絵巻』でした。同人誌を見慣れた日本のファンにも大きな驚きをもって受け止められたこの絵巻物同人誌には、ニコルさんも興味津々で、海外の方も大いに関心を示していただけるのではないかということになり、上海アリス幻樂団さんのご了解もいただき、展示することになりました。
これらの同人誌の展示は、同人誌即売会当日のサークルスペースの雰囲気を少しでも再現したいという意図もあり、植田亮さんから提供いただいた告知ポスターを、同人誌を展示した机の後ろの壁面に貼ったりしています。最初は、準備会が机をレンタルしている便利社さんに一本ご提供いただき、ロンドンに送るという案もあったのですが、さすがに輸送費がネックとなり、大英博物館側でそれっぽいものを用意するということだったのですが、ちょっと立派過ぎる感じになってしまったなあ、というのは正直な感想です。
コミケットそのものを紹介する展示については、先ほども触れた昨冬に撮影されたC95の映像が大きく流れています。当日の様々な風景の合間に、一般、サークル、スタッフ、コスプレイヤーといった様々な形の参加者が登場し、それぞれがコミケットについての思いを熱く語っています。もうひとつの映像は、むにゃかさんが撮影され、Youtubeや日本のテレビ番組でも大きな話題となった、コミケット81の一般待機列を有明ワシントンホテルの上から撮り続けたタイムラプス動画です。準備会スタッフによる巧みな待機列の誘導を見た展覧会の観客の方が、「Amazing!」とつぶやいていたのが大変印象的でした(笑)。
また、3万数千ものサークルが集まるというコミケットの規模を示すものとして、冊子版のコミケットカタログも展示されています(C53、C65、C76、C85、C93、C94、C95の7回分を順次展示)。
このほか、同人誌とコミケットの展示パートが、「マンガ展」全体の中でマンガのファンや社会とのかかわりがテーマとなる「ゾーン4:マンガのちから Power of Manga」に位置づけられるという構成もあって、ニコルさんからは「コミケットと社会との関わりを示すようなものはないか?」というリクエストがありました。これも色々悩んだ末、JR東日本・大崎駅さんが作られたSuicaの事前チャージの啓発ポスターがよいのではないか? ということになり、京都市交通局さんの『地下鉄に乗るっ』キャンペーンや、外務省さんの『ゴルゴ13』による「中堅・中小企業海外安全マニュアル」と一緒に展示されました。
まとめ
といったところが、大英博物館「マンガ展」のコミケット展示にまつわる経緯と内容となります。開催前日の5月22日に日本のプレス向けに行われた内覧会での解説において、ニコルさんは、「コミケットには、マンガファンのパワーを感じる」と強く話されていました。それは我々準備会としても全く首肯するところで、こうしたまたとない機会に参画させていただいたことに感謝するとともに、同じ思いをニコルさんとも共有していることに、約2年間のお付き合いを振り返りつつ感慨深くあらためて展示を見渡した次第です。